70. 気ぜわしい月になりました

今日は急に冷え込んでいるようですが、みなさまお元気のことと存じます。

さて、「おしゃべり広場」のほうに書こうと思って始めたのですが、久しぶりで手筈を忘れてしまいました。昨日は川越に会員Mさんのご主人の「脳梗塞」のお話を聞きに行くつもりでいましたが、急遽「東京女子大学レーモンド建築 東寮・体育館を生かす会」のシンポジウムが開かれるということで「脳」はまたの機会にして、有楽町の外国特派員協会に駆けつけました。
埼玉支部でも講演をしてくださったことのある、藤原房子さんが代表をしておられる会で、たった一年間ですが、藤原さんの同時期に東寮に住んでいたので参加してみました。勿論郷愁はありましたが、こんなに歴史的な意味をもった建物とはつゆ知らず大変勉強になり、わが身の無知を恥じ入りました。

今はほんとに古くなってしまった建物ですが(私より古い!)、建築業界の方々のお話、そして1923年7月撮影の写真によれば、関東大震災の前にほぼ完成していた東寮には地震のダメージはほとんどなかったそうです(自伝アントニン・レーモンドより)。また、京都から駆けつけてくださった京都大学建築学科講師の鉄骨構造、耐震工学の専門家でいらっしゃる西澤英和氏からは単刀直入に、この建物は関東大震災から次の年の2月までに何度にもわたる激震に耐えてきたものであり、耐震性にはなんの問題もないとお話くださいました。他のパネリストの方々もこのレーモンド建築の優れた点、シンボルタワーの煙突を中心にして東と西に伸びた東寮と西寮。 1985年に西寮は取り壊されてしまいましたが、その解体作業の写真を見た方のお話では、鉄骨のすごい量でなかなか取り壊しが進まず、おびただしい数の鉄筋が出ていたそうです。

とにかく新渡戸稲造先生、安井てつ先生が女性教育にどのような理想を持って取り組んでおられたか、改めて心をうたれました。このような精神面での考慮も勿論ありますが、両サイドにそれぞれの意見がある中、フランクな話あいをして、良い方向に持っていったらよいというご意見をパネリストの方からも頂きました。全くその通りだと思います。9棟のレーモンド建築のうち七棟を申請して国の登録有形文化財に指定されたということは本当に素晴らしいことですが、それなのに何故東寮と体育館は外されたかという思いも正直なところあるのです。

詳しくは:twcu-raymond@yahoogroups.jpをごらんください。