56. 銀座教室 −村井志摩子さん

私はなんと幸せ者でしょう!昨夜はOさんと始めてご一緒し、素晴らしい講演をまとめていただきました。

「やっと時間がとれて、初めて「出会いで学ぶ銀座の教室」に参加しました。
今回は第4回、テーマは『光を求めて』、講師は演出家の村井志摩子さんです。

村井志摩子さんのお名前は、或いはご存知ない方もいらっしゃると思いますが、それもその筈、チェコのカレル大学で演劇の勉強をされたまま、帰りのビザを16年も出してもらえなかった上に、帰国後も国内よりむしろ国際的な活動が多かったからです。

広島のご出身ということで、原爆や非戦をテーマにした作品、またチェコ戯曲の翻訳・演出などを精力的に手がけていらして、代表作「広島の女」三部作では文化庁芸術祭賞、マウイ平和賞、エジンバラ・フリンジファースト賞の他やチェコからも賞をお受けになっています。

この日講師紹介をなさった松岡励子さん(演出家)とは、女子大時代に演出助手もなさったこともあるというご縁だそうです。

さて、講演は、まず、女子大卒業生グループのシャテーニュカルテットによる弦楽四重奏から始まりました。曲は、ベートーベンの「病癒えたものの神に対する聖なる感謝の歌」。荘厳さのなかに美しい旋律が快く響く曲でした。

「言葉の力のなさを身に沁みているので演奏をお願いした」とおっしゃるように、講演も説明とか解釈というものはなく、原爆についての二つの詩の朗読、三つ目は聴衆の一人として参加なさっていた女優の大原さんが突然指名されて、モノローグを演じるというように、演劇的な趣向で終始なさいました。

このモノローグは、「原爆ドーム、ヤン・レツル三部作」の最終部分で、原爆ドームとして知られる広島県産業奨励館を設計したチェコの建築家、ヤン・レツルに13年間仕えた朝鮮女性の言葉だそうですが、大原さんはお腹の底から響きわたる口跡で語ってくれました。

「ドーム」の下に横たわっていた時に、「ここは朝鮮人のいるところではない!出て行け!」と罵られるが、その時突然、カラスが飛んできてその男の目をつついて殺した、その時カラスを同胞と思った、という実話に元ずく語りだそうです。最後に「アイグー、アイグー」と搾り出す声には、朝鮮女性の悔しい、やり場のない気持ちが漲っていました。

ところが、村井さんは「今日の出来は余りよくない」とこともなげにおっしゃるのでびっくりしました。村井さんたちは、このお芝居をもってチェコの5つの町を公演なさり、チェコの方々に感動を与えたそうです。

この日、村井さんが繰り返し強調されたのは、女子大への思いでした。Service & Sacrificeの精神に支えられたこと。多くの同窓生から物心両面で支えられたことへの感謝を述べられました。そして、「およそ真理なること」の教えに従って本当のことを話せる人であって欲しい、戦争が起こらないように働いて欲しい、さらに女子大のキャンパスがいつまでも存在して、小学生や中学生も集う場になってほしいとの願いを託されました。

病い勝ちで、ここ1年ほどは鬱に悩まされていらしたそうですが、力強いメーセージがこめられた講演でした。

終了後、石原さんから、次回教室の紹介がありました。
◆10月20日(金)金沢21世紀美術館館長 蓑 豊 氏「美術館が町をかえる」

「銀座教室」のとりこになった私は、次回もぜひ参加したいと思っています。みなさまもぜひお出かけください。」

補足することもないほど完璧な報告です。埼玉支部はこの銀座教室では結構有名になってきたようです。昨夜も7名出席。初代支部長のAさんが講師の村井さんと同期だということで、マイクがまわってきました。「私が埼玉支部をたちあげました!」と誇らかに話され、前・現支部長も同席していると皆さんの注意をひいてくださいましてちょっとびっくり!

無知な私は演奏してくださったシャテーニュカルテットがこの女子大卒業生グループとは全然知りませんでしたので、早速お開きの後お近づきになるべくご挨拶をもうしあげましたら、なんと一人の方はさいたま市中央区の方でした。素晴らしい出会いで、改めて連絡させていただくことにしました。

私はこれが3回目でしたが、お顔なじみも出来ました。 前石川支部長をしておられた方は東京に移転されてOさんを見つけて再会を喜んでおられ、同時に今の石川支部のこともとても心配しておられました。偶然にも6月の支部長会で今の石川支部長さんとちょっとお話する機会があったので、ここでも話がもりあがりました。


◎ 10月0日(金)には是非銀座でお目にかかりたいものです。